東日本大震災 被災地で講演をしました

 3/8~10の期間でメンバーさん2名、スタッフ2名、そして現地の案内としてボランティア1名の合計5名で宮城県石巻市南三陸町に行かせていただきました。
メインは、現地の障がいを持った当事者とその親御さんに自分たちの生活について話をする「講演」と震災の様子を見てくることです。

 1日目は、新幹線を乗り継ぎ、仙台へ。仙台から高速バスに乗り約1時間、そこから「被災地障がい者センター 石巻」で車をお借りして宿泊先となるNPO法人奏海の杜(かなみのもり)の登米事務所へ向かいました。朝から出発し、到着した頃には日が沈みかけていました。大阪からの距離を感じました。

 2日目、メンバーのK.Yさんは朝から念入りにおしゃれをし、K.Sさんは「緊張するわ…」といいながら講演の準備をされていました。
 講演先となる「被災地障がい者センター 石巻」には、小学生から高校生の障がい当事者の方とその親御さん総勢20名近く集まってくださいました。大阪のことを知ってもらおうと♪大阪のうまいもんのうた♪を歌い、お互いの緊張がほぐれた(?)ところで講演を始め、K.Sさんはひとり暮らしのこと、K.Yさんはグループホーム「らいす」での暮らしや自分の好きなものをスタッフとともに掛け合いをしながら発表しました。発表の間、ときどき「おお~っ」と声があがったり、参加者の中にK.Yさんと同じジャニーズファンの方がいて目を輝かせて聞いてくださっていました。講演の時間を2人で60分頂いていたのですが、伝えたい気持ちがいっぱいあって、気がつけば1時間45分経っていました。
 講演のあとは交流会があり、親御さんからさまざまなお話を聞くことが出来ました。
たとえば、宮城では地域のグループホームはなく、学校も地元の学校ではなく特別支援学校に行くのが普通、学校を卒業したら既にある大きな施設に通うしか選択肢がない。また、グループホームと名乗っている施設があっても、道路を挟んだところにある自動販売機でジュースを買いに行く事すら「事故にあうかも知れないから」と行かせてもらえない事実があることも聞きました。これらのお話を聞いて、地域性の違いはあるとはいえ、障がいをもった人がおかれている現状は決してよいものではないと感じました。
 別の親御さんからは、医療的ケアを受けながら「らいす」に一緒に住んでいるK.Yさん(現地を訪問したK.Yさんとは別の方)の写真を見て(自分の娘も)できるかもしれないと希望を感じられたそうです。今日の話を聞いて、そんな選択肢もあるんだ!特別支援の先生や役所の人に聞かせたい!と思った方もいらっしゃいました。
 このように自分たちがなかなか踏み出せない1歩を大阪の皆さんに後押ししてもらって前に進めている、とも聞き、講演させてもらった自分たちの役割を実感しました。遠く離れていても応援を続けていきたいと思いました。
 講演の前後で南三陸町石巻市内を車で回りながら見させてもらいました。
新築の住居も少しずつ建っていましたが、更地になっているところが大半で以前の町の面影を想像しにくい状態でした。また、山間で津波が来た場所と来なかった場所との境目や石巻で最大級の仮設住宅も見させてもらったときは、被害の大きさを目の当たりにし、なんともいえない気持ちになりました。

 3日目は、緊張のほぐれたK.Yさんは青葉城址でのんびり観光、K.Sさんは仙台のアーケード街でショッピングを楽しみ、名物の牛タンを満喫して大阪に戻りました。
帰りの新幹線が強風で遅れが出たものの、参加したメンバー全員、大きな事故もなく帰ってきました。

 講演が決まってからメンバーさんは、どんなことを伝えようかとボランティアのOさんと共に何回も打ち合わせを重ね、資料を作りました。また、震災が起こってから持っていた、宮城のなかまを応援したい!という気持ちをやっと実現することができました。メンバーさんと一緒に行動しながら、被災地の今を肌で感じることができ、良かったです。遠く離れていますが、自分たちが出来る応援を続けていきたいと思います。
また、現地の案内と旅行期間中の車の運転をしてくださったボランティアのOさん、被災地障がい者センター 石巻のスタッフの皆様、NPO法人 奏海の杜の太齋様など、さまざまな方に配慮を頂き、感謝申し上げます。